作費にかけ得るからだ、と。また、批評家は云ふであらう、監督の頭脳と技術が、比較にならぬほど優れてゐるからだ、と。しかし、一般の見物は案外正直で、しかも勘がいいのである。即ち彼等の大部分は、西洋映画に於ける俳優の魅力を真つ先に語るであらう。
いや、それならば興行者も批評家も、それに気づかぬ訳ではないと云ふかもしれぬが、僕の見るところでは、恐らくそれに気がついても、それはどうにもならぬと思つてゐるくらゐの気のつき方で、やつと監督だけが、どうにかせねばならぬと思つてゐるにすぎないやうである。
それでは、日本の俳優は西洋の俳優に比して、どれだけ劣つてゐるか、どこが劣つてゐるか、何故に劣つてゐるかといふ問に答へてみよう。
先づその前に、日本人は西洋人に比べて、俳優としての素質が劣つてゐるかといふと、決してそんなことはないと思ふ。ただ、はつきり云へることは、西洋で俳優になるやうな種類の人物が、日本では殆ど俳優にならうとしなかつた、といふことである。もつとはつきり云へば、日本で、かういふ人物がスクリィンの上に現はれて欲しいと思ふやうな人物は、なかなか少くないのだが、悲しいかな、さういふ人物は一
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