こいつは、閑を閑とも思はない女なんです。忙しい忙しいつて云ひながら、何もせずにゐる。
牧子 あら、うそばつかし……。
より江 そんなことありませんわね。あたくしなんか。どうかすると、なんにもすることはないと思ひながら、一方で、なにかしなくつちやならないと思ふでせう。その気持がこんがらかつて、結局、落ちつけないことがありますわ。
西原┐
├(同時に)それはありますね。
貢 ┘
牧子 ┐ ┌さういふ時だつて……。
├(同時に)┤
より江┘ └つまり、さういふことが……。
牧子 ┐
├(互に「どうぞ」といふ眼くばせ)
より江┘
西原 (引取つて)閑は出来ちや駄目だね。作るやうにしなくつちや……。
貢 それを云ふだけならやさしいがね。
西原 商売にもよるさ。
牧子 西原さんなんかは、おつしやるだけぢやないでせう。
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長い沈黙。
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貢 此の部屋はなんだか陰気だな。外が馬鹿に明るいだけに、家の中は、なんだかすすけてて惨めだ。
牧子 また外でお茶にしませうか。
より江 温室の前の芝生がよう御座んすわね。あそこで、何か戴くと、味が違ひますわ。
牧子 そいぢや、さうしませう。兄さま、一寸、また、手伝つて下さいません。
貢 机はあれでいいだらう。
より江 ええ、ですけど、椅子が……。
西原 椅子なら、僕が持つて行きます。
より江 あたくしも持つて行きますわ。
牧子 それぢや、めいめい、御持参で……。(先へ出る)
より江 (その後から、続いて)何かお手伝ひしませうか。
牧子の声 いいえ。いいんですのよ。
貢 (より江が持つて行かうとする椅子を無理に取り上げ、両手に一つづつ持つて出る)
西原 (これも、両手に一つづつ持つて、その後に続く)行きますよ。
より江 (ひとり、窓から、温室の方を見てゐる。懐中鏡を出し、手早く顔を直す)
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長い間。
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牧子の声 より江さん、いらつしやい。
より江 はい(と答へたきり、ぢつと、眼を据ゑて、何か考へてゐる。寧ろ、何かを待つてゐる)
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長い間。
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貢の声 いらつしやい、より江さん。
より江 いま、すぐ……(さう云つて、まだ、動かない)
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長い間。
此の時、突然、西原の姿が、硝子戸に近く現れる。より江はそれを知らずにゐる。
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西原 (極めて落ちついた調子で、しかし、親しみを籠めて)お茶が冷めますよ。
より江 (ハツとして、その方を振り返る)
西原 (朗らかな微笑を以て之に応へる)
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第三場
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同じ応接間。
五月初めの夕刻、七時頃――
薄暗い燈火――窓掛が風にゆれてゐる。
牧子が現れる。勿論、前場の若々しさは去つて、もとの目立たない女になつてゐる。窓ぎわに椅子を持つて行つて、それに腰をかける。ぼんやり外を見てゐる。
呼鈴が鳴る。
彼女は、一寸首をかしげて、不思議だといふ眼つきをするが、急いで座を起つ。やがて「あら、どうなすつたの。もうすんだんですの。」といふ彼女の声――間――外出の服装をした貢が、帽子を被つたままはひつて来る。恐ろしく沈んだ顔つき。牧子、そのあとから、不安らしくついて来る。
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牧子 今日は、もつと、遅くおなりになるだらうと思つてましたのに……。でも、あちらへ行き着くか行き着かないかぐらゐの時間ぢやありません……これぢや……?
貢 (牧子の腰かけてゐた椅子に腰をおろし、だるさうに帽子を脱ぐ。牧子、それを受け取る)さうさ、向うへ行きつくか行き着かないうちに帰つて来たんだもの……。
牧子 でも、顔だけは出していらしつたんでせう。
貢 いいや、出して来ない。
牧子 あら。
貢 やつぱり、出さない方がいい――ふと、あそこまで行つて、さう思つたんだ。向うとしちや、おれたちを呼ぶ義務があるだらう。しかし、こつちに、行く義務はないからね。
牧子 でも、行かなけれや、変に思ふでせう。
貢 変に思ふだらうな。――しかたがない。こつちとしちや、やつぱり、行かずに済ましたいからな。
牧子 ……。
貢 どうなつたつて、お互にこれまで通りの交際《つきあひ》ができれば、それでいいぢやないか。
牧子 此の一月つてい
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