なかなか午前中には片づきませんのね。またお邪魔させて頂きます。(起ち上り)途中で、牧子さんなんかにお遇ひするかも知れませんわね。
貢 まだ、いろいろお話ししたいこともあるんだけれど、御都合が悪るければ、また此のつぎにしませう。(これも起ち上り、より江を送つて出る。長い間)
より江の声 もう、よろしんですのよ。ほんとにもう……。あら、ここが、こんなに濡れてますわ。
貢の声 ははあ、バケツが漏るんだな。チヨツ、しやうがないな。
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長い間。
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貢 (やがて、二三通の郵便物をもつて現れる。その一つを開封する。読む。読みながら、椅子を引寄せ、腰をおろす。また別のを開いて読む。何れも、何んでもない手紙。さういふ時の精のなささうな表情。草花の鉢を一つ取り上げ、香を嗅ぎ、根ぎは、それから葉の裏を検め、不用な茎を摘み採りなどする。窓ぎはに立つて外を見る。外へ出る。しばらくして帰つて来る。また出て行く。長い間)
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(此の時、牧子と西原とがはひつて来る)
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西原 別に急がないんだから、よう御座んす。ゆつくり探すことにしませう。
牧子 ほんとに済みませんでした。(入口の方を振り返り)さあ、どうぞ……。かまはないぢやありませんか、そんなこと……。いやな方ね。
より江 (ためらひながらはひつて来る)あら、お兄さまは……。
牧子 何処へ行つたんでせう。裏ですわ。一寸呼んで来ますから、どうぞ、御ゆつくり……(かう云つて出て行く)
西原 もう少し早いか遅いかするとよかつたですね。
より江 あたくしがでせう。
西原 僕達がですよ……。
より江 おんなじですわ、それぢや……。
西原 お母さんはまだお若いですね。
より江 あたくしがお婆さんだからですわ。
西原 さうお取りになつちや困りますよ。あなたは実に鋭敏だ。どうです、あなたは芝居をやつて見る気はありませんか。
より江 どういふお芝居ですの。
西原 労働者に見せる芝居です。労働者とは限りませんが、つまり、面白い脚本を、頭のいい素人が、熱心にやつて、大勢に、安く見せる芝居です。
より江 あたくしに出来ますかしら……。
西原 出来ます。
より江 暇がありますかしら。
西原 夜は何時から暇です。
より江 五時から……。
西原 何時まで……。
より江 母に相談してみますが、許してさへくれれば、電車があるまで……。
西原 よろしい。電車代とお弁当しか出ませんよ。
より江 結構ですわ。
西原 明日から、僕の事務所へ来て下さい。
より江 母に相談してみますわ。
西原 事務所は此処です。(名刺を渡す)
より江 牧子さんにもおつしやつて御覧になりました?
西原 先生は、舞台に出ると、足がすくむさうです。
より江 あたくしもさうかもしれませんわ。
西原 無理に勧められない仕事ですからね……。
より江 あたくしからお勧めしてみますわ。
西原 お母さんさへお許しになればいいんですね。
より江 ほかに許しを受ける人なんか御座いません。
西原 さうですか。
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(牧子、続いて、貢、笑ひを浮べながらはひつて来る)
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貢 残念なことをしたね。(より江に)や、いらつしやい。
より江 意気地なく、引張られて参りました。
貢 さうあつてこそです。トランプでもしませうか。
西原 僕は知らない、さういふ遊びは……。まあ、君達、おやんなさい。
牧子 お教へしますわ。
西原 いや、僕は勘弁して下さい。それより、水を一杯どうぞ……。
牧子 只今、紅茶を入れますわ。
西原 なに、水で結構……。水の方が結構。
牧子 (取りに行く)
貢 そいぢや、まあ、面白い話でもしよう。
西原 僕にかまはずに、やり給へ。
貢 どうせ暇潰しさ。何をしたつて同じことだ。僕たちは、二人きりだと、よく、トランプの独り占をやるんだよ。二人が、めいめい、黙りこくつて、あれをやつてゐると、夜なんかね、一寸、神秘的だよ。
より江 さういふことがお好きらしいわね、お二人とも……。
西原 結局、閑人なんだね。
貢 いや、閑なことを苦にしてる人間なんだよ。
西原 閑人といふものは、閑を苦にしてる人間だよ。閑を楽んでる人間に、閑人なんかありやしない。
貢 それも一説だね。さうすると、僕たちは閑があり過ぎるのかなあ。
西原 あり過ぎるね。
牧子 (水を持つて来る)あり過ぎるんですつて……。閑なんかありませんわ。
貢
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