にしなくちやいけないよ。さうなれば占めたものさ。お前は、まだ若い。いや、若いんだよ。あの人を見ろ、より江さんを……。お前と同い年だらう。あれが、つまり、周囲の空気を感じてゐる証拠だ。お前も、あの通りになれ。――笑ふ奴があるか。
牧子  男つて呑気なものですわね。いくつになつても空想があつて……そして、その空想に相応した興奮があつて……。
貢  何を云ふか。おれは、今日、自分でも少しはしやぎ[#「はしやぎ」に傍点]すぎるなと思つてゐる。だからつて、別に、さういふ気持を抑へる必要はないぢやないか。これはほんの譬へだがね、今、より江さんがおれの細君になり、西原がだよ、お前の旦那さんになつてくれてさ、さういふ二組の新しい生活が始まるとしたら、お互に、よろこんでもいいぢやないか。それは、あり得ないことかも知れない。しかし、一昨日よりは、あり得べきことだらう。さういふ今日に廻り会つたことだけでも幸福ぢやないか。希望は逃げて行くもんだ。しかし、希望が一つ時でも、こつちを向いて笑つてくれれば、こつちも、大いに笑つてやればいいぢやないか。
牧子  そんな理窟は成り立つかどうか知りませんけれど、兄さまの、さういふ元気なお顔を見るだけでも、晴れ晴れしますわ。より江さんは、いろいろ事情はあるでせうけれど、きつと、そのうちに兄さまを好きになると思ひますわ。兄さまさへ、今のやうなお気持でいらしつたら、話は、とんとん拍子できまると思ひますわ。さうなつたら、あたくしも安心ですわ。ここのお勝手をあの方にお預けして、あたくしは、どつかへ働きに出ますわ。できれば、あの方の今の仕事を譲つて頂くやうにしますわ。
貢  そんなことをしなくつてもいいよ。お前はお前で、ちやんと、結婚をして、此の近所に家を持つさ……。さうするまでは、そんな、働きになんぞ出なくつたつて、一緒に家の仕事をすればいいぢやないか。あの人は、花をいぢるのが好きだつていふから、そつちの方を手伝つて貰つてもいいし……。
牧子  とにかく、もう少し、おつきあひしてみないとわかりませんわね。
貢  それもさうだ。急ぐことはないさ、下手に切り出して、もうここへ来ないなんて云はれちや、なんにもならないからね。それくらゐなら、始めからなんにも云はずにゐて、いつまでも、友達として出入をして貰つた方がいいよ。ああいふ友達は、是非、必要だ、われわれの生活には…
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