だよ。
三輪の妻 あら、だつて……。
三輪 どら、出掛けよう。君達は、もう用はないんだらう。それぢやと……(妻に)何処がいゝかね。
並木 あ、僕達は、ちよつと寄るところがあるから、今日は失礼しよう。(三輪の妻に)折角ですが、此のつぎに……。
三輪の妻 まあ、そんなことおつしやらずに……。およろしいんでせう、奥さま……。
並木 今、思ひ出したんだ。弱つたなあ……。ほんとに、今日は許して下さい。
三輪 それぢや無理にお引止めしない方がいゝ。何れそのうち……。
並木の妻 (黙つて会釈する)
三輪の妻 でも、残念ですこと……。それではむさくるしいところですけれど、近々に是非……。あの、御一緒にですよ。
三輪 さよなら。
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三輪夫婦去る。
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並木の妻 どうなすつたの……。
並木 どうもしやしないよ。襦袢の袖、あつたの。
並木の妻 それや、あるわ。でも、困つたのよ、安いのを買はうとすると、傍《そば》から、三輪さんの奥さんが、こつちがいゝつて、高いのを撰《よ》るんですもの……。
並木 ……。
並木の妻 あの人達、随分あるらしいのねえ。
並木 ……。
並木の妻 素敵な金紗を買つたわよ。
並木 金紗がなんだい。
並木の妻 始まつたわね。(間)どこへ寄るの、これから……。
並木 ……。
並木の妻 一重帯ね、今、ずつと値が下つてるんだけれど……どうかできないか知ら……。
並木 一重帯なんか締めてる奴は、殆どゐないぢやないか、三輪の細君だつて……。
並木の妻 さうよ、絽の丸帯よ。
並木 絽の丸帯がなんだい。
並木の妻 だから欲しいつて云やしないわよ。
並木 欲しいつて云つたつていゝよ。
並木の妻 どうせ買へないからでせう。
並木 馬鹿。それを云はずにはをられないのか。一口つゝしめば、一口だけ利巧に見えるんだぞ。
並木の妻 (あつけに取られて夫の顔を見守る)
並木 あゝあ、たまにこんな処へ出て来ると余計な奴に会ふわい。
並木の妻 余計な奴つて……よささうな方ぢやないの。でも、あたしたちのゐない間に何かあつたんぢやない? さう云へば、少し変だつたわよ、挨拶の調子が……。始めは、もつと打ち解けた調子だつたのに……。
並木 そんなことはないよ。同じこつたよ。(間)今、何してるつて訊きやがつた。
並木の妻 なんて云つたの。
並木 本屋にゐるつて云つといた。
並木の妻 どこの本屋かつて訊きやしなかつた?
並木 訊かない。あいつは、そんなことに興味はないんだ。しかし、お前のことは訊いたぜ。
並木の妻 どんなこと?
並木 学校は何処だとかなんとか……。それに、気味の悪いほど褒めてたぜ。
並木の妻 なんて?
並木 いろんなことさ。それはさうと、あいつ失敬な奴だよ。金がいるならいつでも云へつて云やがつた。
並木の妻 まあ……。でも察してるのね。
並木 久しぶりで会つて、そんなこと云ふ奴があるかい。馬鹿云へつて呶鳴つてやつた。
並木の妻 およしなさいよ、折角深切で云つてくれるのに……。だから食事を一緒につて云ふのも断つたの?
並木 さうさ。(間)あいつに金を借りて、その金で一重帯を買はうか。
並木の妻 あなたにできる、それが……。
並木 できるさ、しようと思へば……。
並木の妻 うそばつかし……。
並木 どうしてさ。どうしてできない?
並木の妻 あなたに、そんなことまでさせたくないわ、いくらなんだつて……。
並木 (真顔で)するよ、お前の為めなら……。
並木の妻 (しんみり)さう云つて下さるだけで沢山。……(急に調子を変へて)ねえ、あなた、ほんとに無理なことはしないで頂戴ね。あたし、なんだか怖くなつたわ。
並木 ……。
並木の妻 あなたが、あゝいふお友達にまで、そんなことの為めに、肩身の狭い思ひをなさりやしないかと思ふと、あたし、ぢつとしてゐられないわ。
並木 だから、何も云ひ出しやしないよ、そんなことは……。たゞ、向うが……。
並木の妻 えゝ、それはわかつてるわ。だから、そんな時、きつぱりと、断はつて頂戴……。気を悪くさせないやうにね。(間)もう、これから、何が欲しいなんて決して云はないわ。
並木 それとこれとは話が違ふよ。都合がつけばいゝぢやないか。
並木の妻 いゝえ、だから、お友達とだけは、綺麗なおつき合ひをして頂戴ね。どんな場合でも卑下をしないですむやうな……。
並木 お前はそんなこと心配しないだつていゝよ。
並木の妻 いゝえ、心配よ、あたし……。ほんとに、今迄、気がつかなかつたの、そのことだけは……。
並木 ……。
並木の妻 あなたも、何時までもぶら
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