やない。僕はね、下から上つて来る時に、いつでも、見当をつけて来るんだ。と云つただけではわかるまいが、今、僕が、かうして立つてゐる、丁度此の足の真下に、五階を通じてだよ、一体、何々が陳列してあると思ふ。
三輪 ……。
並木 先づ階下には、羽根蒲団がある。二階には姿見がある。三階には一重帯……。四階には……よさう。だがね、それがみんな、僕等には手が出せないやうなものばかりだのに、それを眼の前に見てゐる時とは違つて、かうして、さういふものの上に自分が立つてゐると思ふとだね、なんとなく、花やかな気持ちになるんだ。所有慾といふものから全く離れてだよ。可笑しいもんだね。僕んとこの奴も、やつぱり、さうらしいんだ。
三輪 それや、さうかも知れんね。それがつまり、浩然の気といふんだよ。
並木 何の気だか知らんが、こいつは便利なもんだよ。早い話が、その一重帯なんかでもさ、去年の夏からせがまれてゐるんだが、どうにもしやうがない。だが、女なんて馬鹿なものさ。見るだけでいゝから、見ときませうつて云ふぢやないか。見るだけ見るんだね。さうして、此処へ上るんだ。一重帯の話はそれつきりさ。今年もどうやら、そいつを締めてみないうちに夏が過ぎさうだ。しかし、彼女は、朗らかな顔をして、よそ[#「よそ」に傍点]の女の着物かなんか批評してるよ。
三輪 いゝとこだね。
並木 何がいゝとこだい。(前の方を頤で指し)あれ、誰だか知つてるかい、あの夫婦連れさ。
三輪 知らない。
並木 大村侯爵の息子さ、あの写真道楽で有名な……。
三輪 あゝ、さうか……。あの細君だね……。
並木 シヤンだらう。
三輪 シヤンといふ点ぢや、君の細君に敵はないよ。
並木 慰めるのはよしてくれ。僕だつて、女の値打ぐらゐわかるよ。処で、君はまだお父さんのうちにゐるの。
三輪 いゝや、別になつた。と云つても、近処は近処だがね。遊びに来ないか。
並木 ありがたう。今になつちや、どうも行きにくいね。むかし通りのつきあひは出来ないね。
三輪 そんなこと云ふ奴があるかい。こつちはちつとも変つてやしないぜ。
並木 こつちが変つてるから駄目だ。貧乏は昔からの貧乏だが、世の中へ出ると、自分のゐるところがはつきりわかつて来るね。
三輪 自分で世間を狭くしちやいけないよ。僕なんか、その点ぢや、随分|我武者羅《がむしやら》を通して
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