が、それぢや、なほ、僕がつらい。余計なことを云つてしまつて、どうも、納まりがつかなくなつたが、それだけは赦してくれ。今日は全く失敗した。近頃こんなに苦しい思ひをしたことはないよ。人間は惰力で活きてゐるものだとは思つてゐたのだが、反抗反抗で活きてゐる人間が、ぱつたり手応へのない処へぶつかると、かうまで間誤《まご》つくものとは知らなかつた。さつきから話したことも、あれや、つまり、僕の反抗心が云はせた嘘八百だ。そんなことにも、気がつかない君ぢやあるまいが、あんな大鉢《おほばち》を叩いて置いて、そのまゝ別れたんでは寝醒めが悪いからなあ。
三輪  まあ、さう、自分だけを責めなくつてもいゝさ。人一倍自尊心の強さうな君に、金を貸せと云はせた僕にも、いくらか徳があるんだ、ねえ、さう自惚れさせてくれよ。奴さんたちが帰つて来るまでに、その話をきめとかうぢやないか。
並木  いや、それだけは断る。今日は断る。これも取つて置いてくれ。なにもかも、やり直しだ。五年後にもう一度会ひ直さう。少しは人間ができてるかも知れん。
三輪  相変らず強情だなあ。それなら気のすむやうにしたまへ。(金を受け取る)

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三輪の妻と並木の妻とが連れ立つて帰つて来る。
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三輪の妻  随分かゝつたでせう。気に入つた柄がないの。奥さまにも見て頂いたんだけれど……まるで好みが違ふの。
並木  こいつは悪趣味ですからね。
三輪の妻  いゝえ、さうぢやございませんの。そら、(夫の方をちらと見て)あたしは、どつちかつて云へば、粋好みでせう、自分で云ふのは可笑しいけれど――それに、奥さまは、お上品なお好みでいらつしやるから……。
並木の妻  あら、あたくし、そんな、お上品なんて……。
三輪  いや、どうもさうらしい。それで、やめたのかい。
三輪の妻  兎に角、きめたんですけれどね、あなたのお気に召すかどうか……。一度見て下さるといゝんだけれど……。いゝのよ。わるかつたら、また取り換へるわ、うちで見て……ね。それより、御一緒に、一重帯を見たのよ。こちらの奥さまが御覧になりたいつておつしやつたから……。よくお似合になるのがあつたの。(並木の妻に向ひ)あれをどうしておきめにならなかつたんですの。
三輪  お前みたいに、独りでおきめにならないん
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