ではないが、可なり左右してゐるものではないか。
 日本人の外国文学を味はふ、その味はひ方が、これまで、あまり独り合点ではなかつたか。日本人の解り方で、あまり満足し過ぎてはゐなかつたか。つまり、どこかでも言つたが饅頭の皮ばかり食つて、これが饅頭か、なか/\美味いとか、どうも甘くないとか、そんな勝手なことを云つてゐたのではないか。
 文学と、話の筋とを混合してゐる批評の多いことなど、やはり、そんなところから来てはゐないか。
 これで、現代の日本文学が、もつと外国文学の影響を脱してをり、尠くとも、日本在来の文学的伝統の中に育つて来たものでゝもあれば、「外国文学は外国人と同じやうに得られなくてもいゝ」などゝ平気で云つてをられようが、実際は外国文学の模倣から出発してゐるところが多い。

 殊に戯曲は、日本の現代劇は、それより外、仕方がなかつた。自然、お手本と云へば、西洋の戯曲である。その西洋の戯曲が「西洋人と同じやうに解らなくつて」一体どこに感心し、どこに惹き附けられ、どこを真似ようとしたのか。
 感心したところは、日本人にもわかる処か、さもなければ、日本人としての解り方でか、どつちにしても、そ
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