題となる筈である。
 そこで、最後に、批評的演出といふものについて述べなければならぬ。これは、演出家が一個の演劇理論家であり、また、舞台の実際知識と劇芸術の創造的精神に富むものであれば、彼が俳優としての経験はなくとも、俳優の演技について、暗示的な、啓発的な意見と批判を加へることができる。これは、正しく、敏感な俳優にとつては、へたな指導以上に有りがたいもので、自己の演技を規整する上のみならず、その才能の練磨の上に、貴重な参考となるものである。昔から、稽古の方法はいろいろあるとして、これに作者が立ち会ふといふことは、ある意味に於て必要とされたが、これはつまり、批評的演出の一部を、作者によつて行はしめた実例である。
 俳優としての素質さへあれば、この批評的演出の賢明な運用によつて、素人でもある程度の「成績」を挙げ得ることは、もはや疑ふ余地はない。但し、これは、一般には已むを得ない場合であり、また、従つて、新劇なるものの、踏まなければならない道である。
 敢て直言すれば、坪内逍遥氏、小山内、土方の両氏は、何れも、その統率下にある俳優を指導する立場にあつたのだが、その指導は、ある一点で、その任を
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