ノならず、この法則に従はないといふことは、即ち和歌なり俳句なりを棄てたといふことである。なにか別のことをしてゐるといふことである。
順序として、演劇の一般的法則なるものをここで挙げなければならぬが、私は、常々従来の「戯曲論《ドラマツルギイ》」といふものに疑ひをもつてゐる。古今東西のあらゆる劇的ジャンルに亘り、その何れにも通ずる根本的な法則といふものは、誰もまだ的確にこれを挙げてゐないやうである。悲劇に於ける所謂「三単一の法則」といふものはあるが、これは今日もう議論済になつてゐるからここでは述べる必要はあるまい。ただ、私は、これについて若干の意見をもつてゐるので、別の機会に述べるつもりである。これを除くと、最早法則らしい法則はないと云つていい。或は、舞台の伝統又は習慣といふやうな意味に解し、技術的修熟によつてのみこれを会得し得るものであると考へたり、劇場といふ一定の場所で多数の観客を前にして一定時間に演じ終らねばならぬといふ制限に基く、「不自然で窮屈な」約束にすぎぬと思つてゐるやうである。
これらの通念は、その両極端に於て、或は技巧偏重の「トリック」万能劇を生み、或は、「自然」崇拝の
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