u定形詩が規定してゐるところの、脚韻、セジュウル・フィックス、綴音又は音脚の一定数等の規則は、すべて人体の機能の単調な制度[#「制度」に傍点]を模するものであり、また、ともすれば、それは人生の行為を繰り返し、生命の要素と生命の要素とを結び合せて、恰も海中に珊瑚が聳え立つやうに、事物の間に生命の時をば築き上げる、かの根本的機能のメカニズムからその源を発してゐるのかもしれぬといふことは、正に考慮に値することである」
 この意味を極く楽に解釈すれば、詩の制約が、詩の「生命」を創り出すといふ一つの逆説である。逆説といふのは、その実、言葉から受ける感じで、彼はまた、別のところで、かうも云つてゐる。
「真の善き規則。善い規則といふのは、適当な時機に本質を思ひ出させ、且つこれを強ふる規則の謂であつて、もともと、それ等の特別の時機の分析から生じてゐるのである。つまりそれは、作品のためといふよりは、作者のための規則である」
 ところが古今を通じて、演劇に於ける一般法則といふやうなものは、事新しく吟味するまでもないやうなものであると私は思ふ。恰度俳句や和歌の「法則」のやうなもので、それを破ることが別に手柄
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