u生活の断片」劇乃至は、観念暴露の小説的戯曲を横行せしめる結果となつた。のみならず、演劇論上の根拠を曖昧にし、「劇的本質」の探究に一大障害を与へ、舞台の芸術的進化を遅々たらしめ、引いて、劇場の文化的貧困を招く結果となつたのである。
試みに、従来の戯曲論なるものを見るがよい。如何に、悲劇を解剖し、喜劇を分析してゐても、それは、単に、涙と笑ひの哲学を説くのみであつて、「劇」そのものの本質に触れてゐるものは、稀である。たまたま、悲劇と喜劇とには共通点があるといふ意見があるかと思ふと、それはなんでもない。人は笑ひながら涙を流すことができるといふ他愛もない落ちなのである。また古典劇と浪漫劇を比較する場合でも、何れも、古典悲劇と浪漫主義的ドラマの区別に熱中し、「三単一の法則」の難点を挙げるのみで、「劇」的本質の近代的発展が如何なる点にあるかを示してゐない。近代劇についての諸論に於ても然り。写実主義から表現主義に至る解説は十分呑み込めるのであるが、そのひまに、「舞台の生命」は、どこへか消え失せてゐる。思想劇、社会劇、心理劇、性格劇、気分劇などと分類はしても、「戯曲的」なものとさうでないものとの区別
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