に、自分の知つてゐる型を見出さなければ満足しないといふ恐ろしい習慣を失はずにゐるのです。新劇は、さういふ種類の観客に秋波を送つてはなりません。
三、演劇の為めの演劇
「芸術の為めの芸術」といふ語は解釈のし方で、いろいろな攻撃を受けますが、「演劇の為めの演劇」と、私が云へば、これも、いろいろな方面から苦情が出ることゝ思ひます。
今日、「少数好事家の為の演劇」がよくないといふので、「民衆の為めの演劇」が唱道せられ、「俳優の為の演劇」が幅を利かしてゐる時に「文学者の為めの演劇」が一向に振はないでゐるといふ様に……。また、或る時は「演出家の為めの演劇」が栄え、「舞台装置家の為めの演劇」が出現し、「右翼思想の為めの演劇」があると同時に「左傾思想の為めの演劇」が存在を主張するといふ有様です。
そして、結局、「興行主の為めの演劇」「俗衆の為めの演劇」「人気俳優の為めの演劇」以外に何も残らないではありませんか。
それならばまだしも、「演劇の為めの演劇」があつて、それをめいめいが勝手に利用するやうにした方がよくはないでせうか。
「演劇の為めの演劇」とは、つまり、「演劇を愛するものゝ為
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