よつて立つ芸術的劇場の存在が意義あるものとなるのであります。
 今のやうな有様では、どんな劇場で、どんな俳優が演じても、新しい文芸劇でさへあれば、それは芸術的演劇と呼ばれ、劇場の格式、俳優の地位が極めて「好い加減」であります。これは、演劇の進化、芸術的純化の上に甚だ好ましくない結果を齎すことになります。

     八、新しい戯曲の読み方

 近頃は読み物としての戯曲がなかなか盛んになつて来ましたが、これらの戯曲は、何れも舞台にかけて見なくては、ほんとうの価値はわからぬなどゝ云ふ一部の人々の説は、私にはどうも受け取れません。戯曲の読めない人を標準にすれば勿論さうですが、それなら芝居のわからぬ人を標準にしたら、舞台にかけてもわからぬことになるのです。
 戯曲の読み方と云つても、別に理屈があるわけでもなく、たゞ、戯曲を読みながら、舞台のイメーヂが正しく浮ぶやうになれば、それで戯曲の読み方は卒業なのです。
 処が、劇作家は、戯曲を書く時、果して、実際の舞台をイメーヂとして描いてゐるのか、または、実人生の相を舞台といふ仲介なしに描いてゐるのか、これは問題ですが、これは、何れにしても、読者は読者
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