定するものでもなく、聴かせる「言葉」のみによる演劇の樹立を理想とするものでもない。くどいやうであるが、もう一度、「動作」と「言葉」とを対立するものと仮定して、さて、舞台上に於ける、「動作」の魅力と、「言葉」の魅力とを比較してみよう。「動作」の方は、なんといつても、機械的で、単純で、訓練が容易であるが、「言葉」の方は、より稟質的で、複雑で、訓練に骨が折れる。訓練が容易であるといふことは、正確を要求する程度が少く、誰でもそこに行けるといふことにもなる。訓練に骨が折れるといふことは、それを卒業しなければ、一人前の専門家になれぬといふことであつて、職業の基礎的条件としては、この方に重点が加はるわけである。
 それゆゑ、日本の新しい演劇を作り出すための修業としては、どうしても、また誤解を招くかもしれぬが、「言葉」が先、「動作」が後といふことになり、「言葉」をマスタアし得る「頭」さへできたら、「動作」の感覚は、自ら規整されて、戯曲のジャンルがこれを要求すれば、所謂「動作派」の満足するやうな芝居をいつでもやつてお目にかけられるのである。
 が、まあそれは極端な話で、「動作を主とする演劇」には、またそ
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