の時間に流動する状態が、芸術的に表現された場合、これはもう、リズムといふ範疇以外に説明の方法はない。ところで、このリズムなるものは、眼と耳を通じ、感覚と精神に愬へるところの観念的リズムであり、そのリズムの美は、わが国古来の演劇が感覚的一面に於てある種の完成を示してゐるに反し、精神的又は心理的面に於て、幼稚且つ粗野の域に止つてゐる。西洋劇の移入に当つて、徒らに彼等の演劇論を鵜呑みにし、演劇の本質は「動作」にありといふその「動作」を、眼に見える舞台の「動き」と解し、その実は近代戯曲に含まれる「アクシヨン」が、寧ろ最も多分に、「言葉」の心理的表現の中にあることを忘れてゐた結果、舞台の生命は稀薄となり、演劇の魅力は、独自性を失はうとした。そこで、最も、理論を単純化するために、演劇の進化は、「言葉」の本質的把握にあり――とさへ云ひきつたこともあるのである。ここで、「言葉」とは、「肉声化された言葉」のあらゆる表情を指すことは勿論、その表情を助けるための科《しぐさ》及び、その「言葉」の延長たる沈黙などを含むものである。
 われわれは、ある反対者の信ずる如く、演劇に於ける眼に見える「動作」の重要性を否
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