なものが出来あがれば、それこそ時節柄、国家の大なる損失であるが、所謂、世界的日本建設の掛声が、演劇芸術といふ限られた部門において偶然最も根本的な問題に触れ得たことを私はひそかに悦ぶものである。

     耳による正しい国語教育

 演劇の社会的効用について論ずる人は多いが、演劇と国語教育とを結びつけた意見といふものがまだ日本には現れてゐないやうである。
 これは、在来のわが国の演劇が、伝統的に時代の教養から遊離し、高い意味での文化的な指導性をもつてゐなかつたことが第一の原因であり、第二の原因としては、今日までの国語教育乃至国語の修得といふことが、主として「文字」を通じてなされ、「読み書き」が主であつて「音」による「言葉」の研究がいくぶん軽視され、「聴き方、話し方」の訓練法が殆ど体系づけられてもゐないやうな有様であるといふことを挙げなければならぬ。
 私は国語教育について特に専門的な意見を述べる資格はないが、演劇方面の仕事に関係して痛切に感じてゐることは、俳優技術確立の基礎条件として、この国語教育の欠陥を先づ埋めなければならぬといふ事である。
 国語といふのはつまり、日本語のことであら
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