したいと思ふ。
 古典劇としての歌舞伎は例外として、現代劇、即ち、現代日本人が現代の思想と感覚とをもつてする舞台表現なるものをまだ完全に育てあげてゐない今日、早くも演劇の不振時代が来たといふことは、まことに由々しいことである。一部の演劇関係者は、私のこの言葉に不審を抱くであらう。なぜなら、劇場は到るところ満員に近く、殊に新劇の如きでさへいづれも予想外に客足がつきだしたといふ現象を極めて楽観的にみてゐるからである。
 私は逆に、この現象のなかに、演劇の停頓乃至退化を指摘することができる。が、この議論はしばらく預るとして、私の若干の経験は、今こそ、日本演劇の整理と改革の好機だといふことを教へる。演劇当事者の間でその動きがなくはない。
 しかし、これまた私の観察によれば、わが国の風潮の悲しむべき一面であるが、これをいつまでも民間の努力にのみ委ねておくことは、百年河清を待つにひとしいことを先に私は宣言せざるを得ぬのである。
 戦時の要求に応ずる文化部門の身構へといふ意味とは別個に、また、政治理論の芸術的扮装などと混合しない範囲で、国家は速かに演劇統制に乗り出してほしい。最近新聞の報ずるところに
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