劇的美」の表現形式を発見せしめ、文学的にも完全な近代的詩劇の誕生を告げさせるに至るでありませう。
一方、演劇の独立を唱へるクレイグの理論は、文学としての戯曲を排し、俳優の人形化による様式的舞台表現に成功さへすれば、演劇の一部門として、決して生命の短かいものではあるまい。たゞ、一人の実行的天才が出るまでは、理想論として、単に、演劇研究者の一顧を値するに止まるでありませう。
文学史的進化に伴ふ演劇の将来は、今のところ、写実主義の離脱より、新しい象徴的舞台の完成へ進むべきでありますが、此の間に、本質主義の研究的努力とあらゆる近代主義の勃興とが、その発展をそれほど著しく表面には出させないでせう。しかし、暗示と綜合の観念は、本質主義の堅実な調子と、近代主義の革命的色彩とに交つて、いよいよ鮮やかな舞台表現を見せるでありませう。そしてその窮極は、大いに高踏的な、貴族的な、小劇場主義と提携するか、或は壮大な、素朴な、民衆的な大劇場主義的演劇の発生を来すでありませう。この二つの傾向は、恐らく永遠に平行して存在するに違ひない。論者も亦、それを希望するのであります。
これは単なる予想であつて、偉大なる
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