天才の出現は、何時でも新しい時代を劃することが出来る。而もその天才は、不幸にしてその時代にはそれだけの価値を認められないといふことがある。われわれは、新しい傾向を追ふ前に、先づ自分のもの、自分の佳しとするものを作り上げなければなりません。日本の現代劇は、進む前に先づ存在せよといふ論者の主張も、そこから出発してゐる。われわれは、今浪漫的戯曲を書き、写実的戯曲を書いても、それはまだ完成への意義ある一歩たり得る時代に生れてゐる。なぜなら、日本現代劇は、何十年来、まだほんたうの芸術的作品を一つも生んでゐないと云へるからであります。西洋に於ける写実的演劇の行詰りは、「もう此の上佳いものが出ない」からである。日本では、何んと云つても、「まだ出てゐない」時代であります。現在、象徴的演劇その他の近代主義は、何れも完成された写実主義の上に築かれようとしてゐるのです。相反した傾向も、実は互に好ましい影響を与へ合つてゐる、この事は前講でも述べた通りです。西洋の写実劇が、例へば日本の現代劇になつてゐると見れば見られないこともありませんが、そして日本人として、その写実主義を脱却した新傾向を開拓することも面白いに
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