きたいと思ひます。
お断りをして置きますが、「民衆劇」といふ言葉は、所謂「民衆芸術」といふ言葉と同様に、その唱道者らによつて極めて明確な定義が与へられてゐるに拘はらず、多くの誤解と偏見とを全世界に散布してゐます。
民衆芸術論はこゝでする必要もありますまい。兎に角、理論の上から、論者自身は、民衆芸術そのものゝ反対者ではないことを告白して置きます。たゞ今日まで、真の民衆劇は、民衆劇の名を口にするものゝ手によつて創造されてゐない事実を指摘し、芸術は、飽くまでも芸術のために存在するといふ観念に、しばらく真理を認めて置きたいと思ひます。そして、芸術は、永遠に「芸術家のもの」であることを認めて置きたいと思ひます。こゝで「芸術家」といふのは「芸術を解するもの」の謂であることは云ふまでもありません。かういふ機会に持ち出すのも如何かと思ひますが、論者は最近、芸術的作品の絶対的価値といふものについて、可なり疑ひを抱くやうになつてゐます。芸術美とは、畢竟「作品」を通じて表はれる作家の暗示力と、「作品」によつて喚起される鑑賞者(批評家)の想像力とが、「作品」と「鑑賞する心」との間に造り上げる一つのイメージ
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