部分」と「通俗的な部分」とに概念的な区別をすることが、もう実際的でないのであります。たゞかういふことは云へます。線の太い芸術と線の細い芸術――単色による芸術とニュアンスに富む芸術――叫び歌ふ芸術と囁き口吟む芸術――揺ぶる芸術と撫でる芸術――熱狂させ、眼を見張らせる芸術と、しんみりさせ考へさせる芸術――判然境界を設けることは出来ませんが、此の区別は、その極端に於て確かに演劇の場合、一は大劇場主義に、一は小劇場主義にそれぞれの立場を見出し、それぞれの特色を結びつけることができると思ひます。
 小劇場主義が、窮極は「室内劇」に到達すると同様、大劇場主義の窮極は「野外劇」に帰着することは云ふまでもありません。
 論者はこゝで、両者の芸術的価値について、その優劣を論断しようとは思ひません。またそんなことが出来るわけのものではない。要は、両者の主張が、単に理論のための理論に終ることなく、また偏狭な趣味や、山師的の煽動思想に乗ぜられることなく、真に演劇それ自身の芸術的完成に向つて、それぞれの特色、魅力を発揮すればよいのであります。
 最後に、大劇場主義を支へる有力な一運動である民衆劇運動に言及して置
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