の間には一つの壁があるといふ理論に対して、見物は、その壁が自分たちの後ろにあるといふイリュウジョンをさへ浮べ得るのであります。
 扨て、今日から見て、是等の「小劇場」――「テアトル・アンチイム」は、決して悉く、大劇場主義に対する小劇場主義の所産ではない。仏蘭西で云ふならば、「小劇場」の濫觴と思はれてゐる自由劇場の創始者アントワアヌは、夢にも「小劇場主義者」ではなかつたのであります。今日のヴィユウ・コロンビエは、成る程、「小さな劇場」でありますが、首脳ジャック・コポオは、将来、二千人を収容し得る劇場を欲してゐます。
 それならば、純粋の「小劇場主義者」といふものは、どんな人たちかと云へば、実際、そんなにないのであります。また、「小劇場主義者」にあらざるものは、当然、「大劇場主義者」であると速断してはなりません。「大劇場主義」は、決して今日存在してゐるやうな普通劇場では満足しない。五千人とか一万人とか、なほ、実現さへ出来れば、二万人でも三万人でも容れられるやうな劇場を理想としてゐる処に、此の「主義」の特色があるのであります。さうして見ると、此の「大劇場主義」も一面の傾向に過ぎない。結局、近
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