ナあります。
しかし、これはどうも仕方がない。それなら舞台に代るものは何かと云へば、そんなものが外にある筈はないのであります。そこで、此の厄介な舞台を「利用」する工夫が必要になる。そして、此の「利用」といふことは、第一に舞台を征服することである。舞台に「譲歩」してはならない。舞台的拘束を転じて舞台的魅力としなければならない。「無理」と「不自然さ」を転じて、「それはそれとしての面白さ」にしてしまはなければなりません。これが詮り「舞台の雰囲気」となるのであります。この雰囲気にも亦、芸術的の香ひがあつてこそ、演劇は愈々「演劇としての美」を発揮することになる。劇作家も俳優も、此の呼吸を呑み込んでゐなければ真の舞台芸術家とは云へない。舞台監督も亦、徒らに見物の眼を欺くことに腐心する代りに、見物の心を「舞台の雰囲気」の中に引きずり込む手腕がなければならない。現代の最も進歩した舞台装飾は前にも述べた通り、「美しき背景」を捨て、「実物の排列」を斥け、「独断的美学者の所謂様式的装飾」を離れて、一に「戯曲を感じ得る舞台監督の優れた趣味に基づく暗示的舞台装飾」に如かずといふ議論に到達してゐるのであります。
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