鼾に、此の小説家の戯曲を何んと云つて褒めたらいゝでせう。
論者は、例へば、フロオベエル、ゾラ、ゴンクウル、モオパッサン、又はユウゴオ、ロマン・ロオラン等の戯曲が、ベック、ルナアル、ポルト・リシュ、キュレル、扨てはミュッセ、ロスタン等の戯曲の傍らで、あまり大きな顔が出来ない仏蘭西の劇壇を一寸御覧なさいと云ふ外はありません。
結局、前章でも述べた通り、戯曲の文学的価値と、戯曲的価値とが、或る場合には別々に論ぜられる訳であります。そして、傑れた戯曲とは、常に、傑れた戯曲的本質が傑れた文学的価値の中に融け込んでゐなければならないことになるのであります。
最後に「舞台」といふものについて、一言して置きたいのは、素人の眼から見ると、舞台は戯曲の演出に必要欠くべからざるもので、舞台があつて始めて戯曲が活き、舞台があつて始めて俳優が美しく見え、舞台があつて始めて壮麗な宮殿も、眼の覚めるやうな風景も、立ち処に出来上るんではないか。それ故、舞台といふものは有難いものだ。かう思へるでせうが、実際はそれどころでなく、舞台といふものは、常に戯曲の生命を狭め、俳優の自由を束縛し、見物の幻想を妨げる厄介物
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