vといふ語が、「活動」又は「動作」を意味する語から出てゐるといふ事実は希臘語の知識さへあればわかることです。前章に述べたことを、もう一度繰り返すことは避けますが、結論として「劇」の本質を「争闘」の中に見出し「争闘のない処に戯曲はない」といふ真理に到達した。そこから、あらゆる人生の危機が、人事の葛藤が、事件の発生、展開、結末が、戯曲の主題として選ばれなければならないといふ作劇術の要諦が、古来の演劇論者によつて提唱されたのであります。
 従つて人生のうちには、「劇的な部分」と「劇的ならざる部分」とがある――かういふ説が生れて来る。そして表面、「極めて劇的ならざる境遇」も、その裏に、その奥底に、時として「極めて劇的な要素」が流れてゐることがある――と云つて、「劇的ならざる」而も優れた戯曲の「劇的本質」を説明しようとするのであります。
「争闘の無いところに戯曲はない」といふ言葉は、なるほど真理に近い言葉である。然しながら、「争闘の無いところに人生は無い」と云へないでせうか。更に「人生は戯曲なり」とも云へないでせうか。これは要するに、人生を観るものゝ眼である。人生のあらゆる局面、あらゆる瞬間は、
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