フ楽しさであります。演劇の有つ美は、例へば現実の快楽でなければならない。それほどの違ひがあるのであります。これは、空想は現実よりも美しいといふやうな哲学と何も関係はありませんが、空想よりも楽しい現実の瞬間があつてもいゝではありませんか。
文字が形になり、声になり、動作になる。これは成る程、同じものゝ異つた表はれではありますが、その印象は美の本質に於て異つたものであります。
文字による表現の方が効果の多い「もの」と、声、形又は動作による表現の方が効果がある「もの」とが、実際われわれの「生活」の中にあるのであります。戯曲は決して文字のみによる表現が目的ではない。文字によつて声、形又は動作を暗示する文学の一形式であると云つて差支へないと思ひます。そこで戯曲の言葉といふものが、小説又は詩の言葉に対して、一種特別な内容を要求する所以なのであります。然し此の文字による声と形と動作の暗示は、たとへそこに戯曲の生命があるとしても、文字が文字である以上の力を戯曲の中に求めることは不可能である。まして、文字で書かれた戯曲が、文学としての存在を主張する以上、書かるべき文字の或る限られた能力以外に、劇作家
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