ヘ自ら駆使し得る何ものもないのであります。
演劇は戯曲の頼りとする文字の生命から、新しく声、形及び動作の生命を創造し、魔術師の如く公衆の前に現はれる。声、形及び動作の生命、これはなるほど戯曲のどこを探してもない。たゞ声となるべきもの、形となるべきもの、動作となるべきものがあるばかりである。それをさへなほ他人の作つた戯曲の中に求めることを潔しとしない舞台芸術家は唯一つの取るべき道しかないのであります。即ち自作自演……。それも自分一人で演じられないとすればやつぱり他人の力を藉らなければならないではありませんか。総ての俳優が、自作自演を主張し、他人の作品を演じることを肯んじないならば、今度は各自が舞台の上で、自分の役を創作するより仕方がない。
動機は違ひますが、「即興劇」又は「即興的演出」といふものがあるにはあります。俳優がめいめい舞台の上で自分の役を作りながらそれを演じるのです。準備なしでこれがうまく行けば、それこそ演劇の一大革命と云へるでせう。いや、準備をしても、なかなかうまく行くものではありません。
こゝまでゞ、一と通り、演劇と呼ばるべきあらゆる舞台芸術の、本質的要素を検べて来た
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