ッ様である。つまり、それらの要素は、ちやんとこの定義の中に含まれてゐる。
之を要するに、かういふ定義に当て嵌る演劇の本質は、物語りの中に在る。誤解を防ぐために、もつとはつきり云へば、「物語りの仕方」にある。
此の物語は、文学として存在する或る形式のうちに求める場合と、文学の形を成さない「主題」または「筋」の中にのみ求める場合とがある。前者は、その一端を最も簡単な舞台表現である「朗読」に発し、後者は一端を台詞を用ひない人形劇又は影絵に発してゐる。その次に無言劇が来る。活動写真それ自身「タイトル」を除けば影絵と無言劇の中間に位すべきものであります。そして、此の両端を結びつけるものとして、身振りまたは科《しぐさ》をする役と、白《せりふ》、即ち台詞を云ふ役とを同時に併用する一種の形式が存在する。日本の歌舞伎劇にもそれがあります。希臘劇にもある。近代ではポオル・クロオデルの或る戯曲を、さうして演じたことがある。更に、俳優を使はないで、人形、影絵または幻燈を用ひ、その陰で台詞を云ふといふやうな演出上の試みもありました。活動写真に説明や台詞をつけるなども、此の部類に属するものと云へます。
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