ト云へば、「心理的要素を主とする演劇」に於ては、感覚的要素を飽くまでも、第二義的に従属的に置かなければならない。為し得れば、それさへも、常に心理的要素の暗示に役立たしめなければならない――といふことになる。この理論は、今日劇芸術家の常識になつてゐながら、前回にも述べた通り、実際はまだ声を大にして叫ぶ必要があるのであります。
 そこで「心理的要素を主とする演劇」にはどういふ形式のものが含まれてゐるかと云へば、これは、今日まで使はれて来た演劇といふ言葉の一層狭義の意味さへはつきりさせればいゝ。平易に考へて、われわれは、狭義の「演劇」といふものをかう定義することが出来る。「俳優又はそれに代るべきものを以て、或る仕組まれた物語を、言葉、身振り、又は科によつて実在化する一種の芸術である。」
 この定義は、学者から抗議が出るかもわからない。背景や道具や衣裳や光線は演劇の内容ではないかと云ふかもわからない。
 この抗議は簡単に片づけませう。――俳優は必ずしも裸で舞台に立つ必要はない。物語と云ふ以上、その物語の行はれる場所がわかつてゐる。その場所がどんな処か、それを知らせないで物語りが出来るか。時刻も
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