zはせる一種の舞台表現である。而もそれが心理的に何等の情緒を誘起するものであつてはならないとすると、その印象の範囲は極めて局限されることになります。
 次にこれらの感覚的要素を以て、或る心理的効果、例へば喜悦、恐怖、悲哀等の感じから、進んで、なほ一層複雑な印象を与へようとする、これも亦、どの程度までそれが成功するか疑問である。殊にどの程度まで、それが芸術的であり得るかゞ疑問である。雷と風の音を出し、電光を見せ、雲らしき色と形を示して、「嵐」と題をつけても、それは「見せ物」以上の何ものでもないやうな気がする。恐怖とか凄愴とかいふ印象は与へ得るでせうが、それがどこまで芸術的感銘を伴ふかは問題であります。それならば、まだしも、単に感覚的美感に止めて置いた方が意味深長ではありませんか。
 そこで「感覚的要素のみによる演劇」から「感覚的要素を主とする演劇」に遷ります。心理的要素を加味するといふことは、即ち「声」及び「動作」を要素として与へることになる。そのうち最も単純なのは純舞踊を形造る肉体又はこれに代るものゝ様式的運動である。それに「身振り」(ミミック)が加はつて複雑味を増し、「主題」が「筋」
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