驍烽フは、それを「光の舞踊」と名づけるでせう。或るものはそれを「色彩の音楽」と名づけるでせう。或るものは又それを「動く浮彫」と名づけるでせう。或るものはなほそれを「見える詩」「物語る絵画」と名づけるでせう。然しながらそれらのものが、何れも他の芸術と区別されるために、何等かの共通点を必要とするのは、それらのものが一概に「演劇」と名づけられなければならないと思ふのである。
「舞台の上で公衆を前にして見せ、或は聞かせるもの」――これだけが共通点の全部でないことは、わかりきつてゐる。音楽や舞踊もその中にはひる。もつと本質的な共通点を求めようとすると、結局、それは不可能であることがわかる。
こゝで演劇学者は、演劇の歴史に遡って[#「遡って」はママ]、その本質を探究しようとする。
演劇と云ふものを社会学的に観て、その起原を説くことは論者の目的ではありません。従つてそれは別の機会に譲るとして、先づ希臘劇は二つの美学的要素から成立つてゐたことは明かである。即ち「物語《ミトス》」と「動作《アゴウン》」がそれであります。何れが主になつてゐたかそれは軽々しく論断することは出来ませんが、少くとも或る美学者
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