蛯ェ、十通りに使はれてゐることを発見したのであります。「然り」といふ語が「否」の意味に用ひられてゐることさへ発見したのであります。
 かういふことを等閑に附して、何が背景だ、何が光線だ、何が衣裳だ、かういふ説は、あまり当然すぎて新奇な魅力がない。然し、戯曲の上演を演劇と称へる以上、舞台上の革命は、こゝから出発しなければならないといふ事実を否認するものはありますまい。
 実際、ジャック・コポオは、所謂「伝統」なる古来の型から一歩も出ようとしなかつた古典劇の演出法に、形式の上でなく、内容の上に新しい「或るもの」を加へたことによつて、先づ欧洲劇壇の注意を惹きました。
 露西亜カメルヌイ劇団がラシイヌのフェードルを立体派風に変形上演した。コポオは流石に演劇の本質を上演する戯曲の内容から引離すことの危険を知り抜いて、「新しき演出とは、必ずしも戯曲の新しい解釈ではなく、戯曲の一層深い理解から生じる、一層正しい舞台的表現である」といふ真理をつゝましく遵奉してゐる芸術家なのであります。この古めかしい真理が、今日までヴィユウ・コロンビエ座の中で、どれだけ新しい創造を生んだか、これは単に古典劇ばかりでなく
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