フ論者の考へてゐるやうなものではないと云ふことが、わかるのであります。
そこで、兎も角も、無言劇の完成と相俟つて、文学としての戯曲の上演も、立派な演劇の一部門であると云へる。のみならず、最も特色ある芸術としての演劇は、古来幾多の天才によつて立派な形式を与へられてゐる戯曲そのものゝ中に、「演劇それ自身の美」を見出すに如くはない、かういふ議論も、今日に於ては成立するのであります。
この見地から、「演劇の本質は裸の舞台に於ても十分に表現し得べきものである」といふジャック・コポオの理論が生れてきたのであります。「一切の舞台的装飾、舞台的設備は、演劇の内容としては、全く第二義的のものである」と、彼は云ふのであります。
言葉の関係から生じるあらゆる表現上の美しさから、劇的要素を見出す――これが古きが如くにして最も新しい舞台上の発見であることは前にも述べました。
こゝから一つの戯曲の演出にまつはる一切の舞台的拘束を離れて、新しい「舞台上の言葉の研究」が始まるのであります。「或る台詞の最も正しい、唯一つの表現法」が俳優の工夫の対象となるのであります。二た通りしか云ひ方が無いと思はれてゐた一つの
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