アゝにあると云へば云へるのであります。
 然しながら、理論と実行とは必ずしも一致しない。機械的装置の改良、絵画的表現の工夫、照明の絶対価値が論ぜられ、その点では殆んど奇蹟的な効果を挙げながら、演劇の生命は刻々に狭められつゝある事実をどうすることも出来ない。活動写真と舞踊劇《バレエ》の出現は、そしてその完成は、演劇に取つて大なる脅威であります。過去四十年間の舞台的革命は、演劇そのものゝ進化にどれだけの実績を残したか、この疑問は、真に演劇を愛し、演劇を理解するものゝ均しく抱いてゐる疑問であります。
 今日欧洲の劇壇を通じて、著しい傾向と見るべきは、「演劇をして再び演劇たらしめよ」といふ観念であります。演劇の伝統が論議され、その本質が探究されつゝあることであります。
 前回にも一寸述べたゴオヅン・クレイグの理論は、当時、既に時流を擢んでゝゐたと云はなければなりません。
 然しながら、これも前に述べた通り、クレイグの演劇本質論は、理想としては誠に立派な議論でありますが、現在に於ては甚だ危険な思想だと云はなければならない。何となれば、今日までの作者、今日までの俳優、今日までの舞台装飾家、今日まで
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