謔ツて美果を結ぶことは、論議の余地がないのであります。
アントワアヌが、自由劇場の没落後、古典劇の演出に手を染めた――これと同じ意味で、モスコオ芸術座も、写実主義的作品の演出に終始してゐないことは勿論でありますが、次の時代は、やはり新しい人の手によつて生れようとしてゐるのであります。
そして、その新しい演劇時代は、一斉に写実主義よりの離脱に向つてゐることを注意しなければなりません。
然しながら、過去三十年間に、欧洲の劇壇はさほど動いてはゐません。一つの理論は他の理論を生み、一つの主張は他の主張を生んで、舞台は恰も美学の研究室であるかのやうな観を呈したのでありますが、最近に於てあれだけの才能を生み出した写実主義文学、その上に樹てられた写実主義の舞台は、なかなか根を張つてゐる。しかも、写実主義――自然主義として一時顧みられなかつた作品のうちに、その反対者が要求し、鼓吹するところの非写実的要素を見出し、加ふるに観察の鋭さが常に与へるところの表現の魅力を味ひ得るに当つて、所謂写実主義の古典的価値が知らず知らず、その反動的運動の中にさへ根を下ろしてゐる事実に気がつかないものはないでありませ
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