ルど出づべきものは出で尽したでありませう。然し、完成さるべきものが、まだ完成されずにゐることを彼は知つてゐたに違ひない、自由劇場は経済的窮乏の極に陥つて、志士の最後にも似た悲壮な死を遂げましたが、その当時、彼の後継者であり、同時にその事業の完成者であるところの一劇団が、露西亜に現はれた。云ふまでもなくモスコオ芸術座であります。
固より経済的基礎も自由劇場の如く貧弱なものではない。スタニスラフスキイ並にダンチェンコの芸術的才能が必ずしもアントワアヌの上にありと断言は出来ないが、しかし、劇団としての素質は遥かに自由劇場の比ではない。その上、団体的訓練、俳優としての芸術的精進に於て、芸術座の右に出づる劇団は未だ嘗てない――それは事実であります。
仏蘭西に於ける自由劇場の運動が、これに決定的勝利を与へるやうな偉大にしてポピュラアな劇的作品に遭遇しなかつたことは、たしかに遺憾であります。これに反してモスコオ芸術座は、チェホフによつて、永遠の生命を見出したと云へます。
これによつて見ても、一つの演劇運動が、優れた戯曲を見出すことによつて確乎たる基礎を与へられ、その戯曲の価値を発揮させることに
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