I訓練の必要と効果が生れるのであります。
 舞台装置は見物の眼を欺く仕掛けであつてはならない。為し得る限り実物を配置しなければならない。
 扮装はうつくしい必要はない。真に迫つてゐなくてはならない。
 この議論を極端に実行すると、いろいろな滑稽を演じることになる。自由劇場は実際に、滑稽を演じたのであります。
 舞台が牛肉屋の店である。ほんたうの生肉を――皮を剥いだ牛を――吊して見せた。樹木も厚紙ではいけない。本物のを樹てた。葉が萎れて来たので、大いにまごついた。噴水を仕掛けてよろこんだ。寄席《ミユジツク・ホール》あたりではとつくにやつてゐることである。
 舞台上の写実主義は、かくて、見物の期待を裏切るやうになつたのであります。それは、自然主義の小説が、その悪趣味と平坦さによつて読者を飽かせつゝあつたのと同様であります。
 此の時代は(十九世紀末葉)既に、ボオドレエルの名が詩壇を風靡し、若き象徴派が自由詩のために戦ひ、ワグネルの演劇論が欧洲の一角に、時ならぬ閃光を投げかけてゐた時代であります。
 自由劇場の首脳アントワアヌも、「今や、出づべきものは出で尽した」と叫ぶやうになつた。
 なる
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