驍烽フは、それを「光の舞踊」と名づけるでせう。或るものはそれを「色彩の音楽」と名づけるでせう。或るものは又それを「動く浮彫」と名づけるでせう。或るものはなほそれを「見える詩」「物語る絵画」と名づけるでせう。然しながらそれらのものが、何れも他の芸術と区別されるために、何等かの共通点を必要とするのは、それらのものが一概に「演劇」と名づけられなければならないと思ふのである。
「舞台の上で公衆を前にして見せ、或は聞かせるもの」――これだけが共通点の全部でないことは、わかりきつてゐる。音楽や舞踊もその中にはひる。もつと本質的な共通点を求めようとすると、結局、それは不可能であることがわかる。
 こゝで演劇学者は、演劇の歴史に遡って[#「遡って」はママ]、その本質を探究しようとする。
 演劇と云ふものを社会学的に観て、その起原を説くことは論者の目的ではありません。従つてそれは別の機会に譲るとして、先づ希臘劇は二つの美学的要素から成立つてゐたことは明かである。即ち「物語《ミトス》」と「動作《アゴウン》」がそれであります。何れが主になつてゐたかそれは軽々しく論断することは出来ませんが、少くとも或る美学者の称へる如く、希臘では――日本に於ける如く――「芝居《テアトロン》」は「観る物」であつた故に「動作」が主で、「物語」は従である。といふ説は今日誰も信用するものがありません。現に希臘劇場で「見物席」のことを「聴聞席《オーデイトリウム》」と呼んでゐたのであります。また「俳優」といふ言葉も羅馬以来現在使はれてゐる「アクタア」即ち「動作をする人」になつたのですが、希臘では「|答へる人《ウポクリテス》」――即ち「合唱団」と問答をする役であつた。今日では「芝居を観る」といふ言葉は平気で使はれてゐる。「芝居の見物」と云つて、「芝居の聴き手」とは云はない。然しそれは、演劇の歴史的研究に、相当の準拠を与へはするでせうが、現代の演劇を論じ、その本質を究める上に、さほど、重要な根拠にはならない。まして「明日の演劇」は、歴史への反逆であるかも知れない。故に言葉の上の因襲を楯にとつて、芸術の本質を云々することは考へものである。
 また「劇《ドラマ》」と云ふ言葉についても、同様の語原学的詮索から出発して、偏狭な理論を立て鑑賞上の錯誤を導くことが往々あるのであります。なるほど「劇《ドラマ》」とは「活動」或は「動作」
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