ト、安住の一地点を見出さうとしてゐる。然し此の旅行は決して無意義ではなかつたのであります。「舞台上の言葉」は、新しき象徴的内容を与へられて、散文より詩への飛躍となり、説明より暗示への極めて顕著な進化を促されつゝあることは、何と云つても「明日の演劇」の有すべき価値ある特質であります。「新しい戯曲」が、此の意味で要求されてゐるのであります。
扨て「演劇をして再び演劇たらしめよ」といふ主張には、もう一つ重要な傾向が含まれてゐる。それは「舞台より考証家と美学者を駆逐せよ」といふことであります。「真の舞台芸術家の手に舞台を返せ」といふことであります。更に言ひ換へれば「写実万能と衒学的誇示を排除して、舞台を生気ある幻想の世界たらしめよ」といふことであります。
こゝで自然主義的第四壁論は、もう絶対の真理ではなく、舞台と見物席の境界は必要に応じて何時でも撤廃することができる。これは過去の浪漫的演出に新しい精神を附与したことになるのであります。
不自然のうちに「自然さ」を与へ、有り得べからざることに「真《まこと》らしさ」を与へることによつて、見物を「演劇のみがもつ陶酔境」に引き入れることは、確かに古来の舞台芸術家が企図したことであります。然しそれが真に芸術的効果を齎すためには、その不自然さが決して誇張のための誇張であつてはならない。有り得べからざることが、決して想像のための想像であつてはならない。新しい浪漫的演出の生命は、実にその象徴的精神に在るのだと云へます。
演劇の本質
一
近代演劇の運動は一面から見て、過去一世紀に亙る芸術運動の後を遥かに追つて来た観があります。
そして今日、演劇は――少くとも芸術的演劇は、明かにその進むべき道を示されてゐる。われわれはもはや、演劇の本質について何等論議を戦はす余地はないのであります。
音、形、運動、色、光、これらの要素を以て絵画ならざるもの、音楽ならざるもの、彫刻ならざるもの、建築ならざるもの、舞踊ならざるもの、文学ならざるもの、さういふものを創り出す芸術家を仮に舞台芸術家といふ名で呼びませう。そしてその舞台芸術家は、恐らくそれぞれの理論と趣味と才能とに基いて、絵画に近きもの、音楽に近きもの、彫刻に近きもの、建築に近きもの、舞踊に近きもの、扨ては、文学に……近きものを創造することが出来るでありませう。或
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