ルど出づべきものは出で尽したでありませう。然し、完成さるべきものが、まだ完成されずにゐることを彼は知つてゐたに違ひない、自由劇場は経済的窮乏の極に陥つて、志士の最後にも似た悲壮な死を遂げましたが、その当時、彼の後継者であり、同時にその事業の完成者であるところの一劇団が、露西亜に現はれた。云ふまでもなくモスコオ芸術座であります。
 固より経済的基礎も自由劇場の如く貧弱なものではない。スタニスラフスキイ並にダンチェンコの芸術的才能が必ずしもアントワアヌの上にありと断言は出来ないが、しかし、劇団としての素質は遥かに自由劇場の比ではない。その上、団体的訓練、俳優としての芸術的精進に於て、芸術座の右に出づる劇団は未だ嘗てない――それは事実であります。
 仏蘭西に於ける自由劇場の運動が、これに決定的勝利を与へるやうな偉大にしてポピュラアな劇的作品に遭遇しなかつたことは、たしかに遺憾であります。これに反してモスコオ芸術座は、チェホフによつて、永遠の生命を見出したと云へます。
 これによつて見ても、一つの演劇運動が、優れた戯曲を見出すことによつて確乎たる基礎を与へられ、その戯曲の価値を発揮させることによつて美果を結ぶことは、論議の余地がないのであります。
 アントワアヌが、自由劇場の没落後、古典劇の演出に手を染めた――これと同じ意味で、モスコオ芸術座も、写実主義的作品の演出に終始してゐないことは勿論でありますが、次の時代は、やはり新しい人の手によつて生れようとしてゐるのであります。
 そして、その新しい演劇時代は、一斉に写実主義よりの離脱に向つてゐることを注意しなければなりません。
 然しながら、過去三十年間に、欧洲の劇壇はさほど動いてはゐません。一つの理論は他の理論を生み、一つの主張は他の主張を生んで、舞台は恰も美学の研究室であるかのやうな観を呈したのでありますが、最近に於てあれだけの才能を生み出した写実主義文学、その上に樹てられた写実主義の舞台は、なかなか根を張つてゐる。しかも、写実主義――自然主義として一時顧みられなかつた作品のうちに、その反対者が要求し、鼓吹するところの非写実的要素を見出し、加ふるに観察の鋭さが常に与へるところの表現の魅力を味ひ得るに当つて、所謂写実主義の古典的価値が知らず知らず、その反動的運動の中にさへ根を下ろしてゐる事実に気がつかないものはないでありませ
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