タ的演劇の樹立以外に、舞台から芸術的に不純なものを駆逐することに努力した。その功績は第一にこれを認めなければなりません。
例へば、或る人物に扮した俳優が、その役の如何に拘はらず、なるべく「目立たう」とする習慣の如き、それがために見物に背を向けてゐなければならない場合にでも、わざわざ見物の方を向いて物を言つたりする因襲の如き、これは浪漫的演出の余弊であります。
写実的演出に於ては、かういふ「わざとらしさ」を全然排斥した。人生の真相、生活のありのまゝの姿を舞台に描き出すことが目的であるところから、少しでも「芝居をする」ことは許されない。舞台にゐる――見物に見られてゐるといふ頭があつてはならない。舞台と見物席との間には、やはり壁があるものと思つてゐなければならない。これが写実的演出の信条たる第四壁論であります。
端役も無言役も、「生活の断片」たる舞台の上では、その生きてゐる点に於て、一つの役割を有つてゐる点に於て、即ち、その生活の一部を成してゐる点に於て、少しも変りはない。一人でも芝居をするものがあつてはならないと同時に、一人でも舞台を呼吸してゐないものがあつてはならない。こゝから舞台的訓練の必要と効果が生れるのであります。
舞台装置は見物の眼を欺く仕掛けであつてはならない。為し得る限り実物を配置しなければならない。
扮装はうつくしい必要はない。真に迫つてゐなくてはならない。
この議論を極端に実行すると、いろいろな滑稽を演じることになる。自由劇場は実際に、滑稽を演じたのであります。
舞台が牛肉屋の店である。ほんたうの生肉を――皮を剥いだ牛を――吊して見せた。樹木も厚紙ではいけない。本物のを樹てた。葉が萎れて来たので、大いにまごついた。噴水を仕掛けてよろこんだ。寄席《ミユジツク・ホール》あたりではとつくにやつてゐることである。
舞台上の写実主義は、かくて、見物の期待を裏切るやうになつたのであります。それは、自然主義の小説が、その悪趣味と平坦さによつて読者を飽かせつゝあつたのと同様であります。
此の時代は(十九世紀末葉)既に、ボオドレエルの名が詩壇を風靡し、若き象徴派が自由詩のために戦ひ、ワグネルの演劇論が欧洲の一角に、時ならぬ閃光を投げかけてゐた時代であります。
自由劇場の首脳アントワアヌも、「今や、出づべきものは出で尽した」と叫ぶやうになつた。
なる
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