ツいて、一つの論断を下して置きたいと思ひます。
舞台装飾は、由来、脚本の上演に当つて屡々上演者のナイーブな誇示的欲望の道具に使はれたのであります。希臘劇に於ては、まだ左程でなかつたやうでありますが、羅馬時代には其の頂点に達した。仏蘭西では、中世紀に於て幼稚ながら豪奢な舞台が盛んに見物の喝采を博し、十七世紀に至つて、その傾向は殆ど後を絶つたが、十八世紀の終りから十九世紀にかけて、所謂「地方色」の尊重を口実として舞台装飾に凝り出したのであります。その結果は、浪漫派演劇の壮麗ではあるが、悪趣味の舞台装飾を生み、その反動として、自然主義の、これまた真実の名を藉りた悪写実の弊に陥つたことは周知の事実であります。舞台装飾を職業的背景画家の手に委すことを欲しない、そしてまた、自然主義的の実物排列に慊らない多くの舞台研究者は、一斉に起つて舞台の様式化に走つたのであります。そして、これらの熱心な舞台改良家は、恰も脚本と俳優の存在を忘れてゐるかの如き感がありました。
舞台の幻影は色彩のリズムである。大小の画家が劇場につめかけました。舞台の生命は光線である。電気技師が招聘されました。舞台監督たるヘル・プロフェソルは、近眼鏡を曇らせながら、舞台意匠の下図に見入つてゐました。そして、俳優が、詩劇の台詞を一句飛ばしてゐるのも知らずに、衣裳の襞に、臀の角度に、椅子の置き方に、あれこれと細かい注意を与へました。
近代の舞台革命は、かくて、演劇から言葉の位置を奪はうとしました。
ヘル・プロフェソルは眼鏡を拭いて外に出ました。そこには活動写真の看板が、時を得顔に突つ立つてゐました。
劇場について
近代の劇場が最も恐るべき経営上の敵と見做してゐるのは活動写真であります。これは、芸術としての演劇に、極めて痛切な教訓を垂れたと同時に、娯楽本位の演劇に、少なからぬ打撃を与へたのであります。興行主乃至劇場主は、少し眼の覚め方が遅かつたのです。彼等は演劇の本領について、勿論確乎たる自覚をもつてゐない。活動写真が何故に劇場の観客を吸収しつゝあるか、そのことについて殆ど明瞭な判断さへ下すことができないのであります。
徒らに見物の劣情を挑発し、低級な趣味に媚びることを以て唯一の対策としてゐる。作者、俳優はその頤使にあまんじて、益々演劇の堕落を助けてゐる。
演劇革新者を以て自任する舞台芸術
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