ことだが、責任のもつて行きどころがない。つまり不覚な失策のために信用を堕した人間のやうなものである。個人的には名誉恢復もできるだらうが、事「運動」に関しては呼びかける相手がないのである。私の意見では、こゝでひとつ、戦術を変へてみるより外はないと思ふ。つまりそれは、時代の寵兒たる「映画」を先頭に立てることである。幸ひこの弟は兄貴思ひである。大きくなつたらきつと兄貴の苦労を察してくれるであらう。
 といふとなんだかじめ/\弱音を吐くやうだが、決してさういふわけではない。今日、映画を育てるといふことは、やはり、演劇と共通なものを育てるといふことになると云ふ意味である。

       二

 さて、映画ならば肩を入れようといふものに、現在、資本家の外に、国家と民衆があるのである。どういふ風に肩を入れて貰ふか、それは、映画関係者と共に、われわれも注文を出す権利があると思ふ。合理的で、且つ、永久性のある俳優養成機関を先づ第一に作つて貰ひたい。
 なぜかといへば、もう既に、今日の情勢では、既成の映画会社は勿論、演劇の如何なる組織も、それが民間の事業である限り、われ/\が求めるやうな人材を吸収する条
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