その代り、それを填め合せる同数の新しい客を吸収できることも保証しておかう。
半同半異と云つた、その「半同」とはどういふ意味か。それは、第一に、ほかの芝居と同様、まだ、「芝居でないもの」を芝居らしく見せかけてゐるところだ。第二に、だんだん「低い」ところばかりを狙ふ傾向があることだ。第三に、労働時間の多すぎることだ。第四に……まあ、これくらゐにしておかう。
要するに、「大衆性」といふものは、少くとも演劇に於いては、決して「卑俗性」と同一に見做すべきものでなく、「大衆」が演劇に求めるものは、常に、演劇の純粋性であつて、しかも、その純粋性が、彼等の口に合ふやうに調味されてゐればいいのである。
元来、演劇といふものは、それ自身、最も「普遍的」性質をもつた芸術であるから、いはば、誰にでも「わかる」ものなので、たまたま、「高踏的」と称せられるやうな脚本でも、俳優の演じ方次第では、ある種の魅力によつて、その「脚本」のわからないものにでも、相当、面白く見せられるといふやうな場合がある。勿論、善い脚本と悪い脚本、面白い戯曲と面白くない戯曲といふものはあるにはあるが、結局のところ、演劇全体の価値からい
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