然として、「特殊な」人間の、「特殊な」興味にしか愬へないやうな色調を固執してゐる。
「狭い」といふのは、決して、「文学的」すぎることだけではない。脚本でいへば、描かれた世界についても云へるし、それを描く作者の態度にも、それに含まれる思想の偏向、それに用ひられてゐる文体の種類、それら、さまざまの要素についてである。また、演出の方法、即ち、演出家の独りよがり、気まぐれな試み、無意味な野心などは、演劇の「広さ」をわざわざ「狭く」するものである。俳優については、殊に、未熟、自信のなさ、鈍感さ、横着などは別として、そのマンネリズムが第一、芝居を「狭く」する。蓼食ふ虫もすきずきといふ域に達したら、本人はそれでも満足であらうが、決して、多くの人を悦ばす所以ではない。マンネリズムは、勿論、一種の臭味である。芸の臭味は、同時に、芝居の臭味である。さうなる頃には、その俳優は、もう、趣味の上にも、生活それ自身の上にも、知らず識らず、変な臭ひがついてゐて、これがまた、「大衆」の顔を背けさせるのである。
「誰にでも魅力のある俳優」とは、畢竟、俳優臭くない俳優で、最も人間的品位とあらゆる「美」に対する感受性を備へ
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