、その言説に耳を傾けさせ、しかも、俳優らしく、その表現には常人の企て及ばない独特の魅力があり、決して好奇的な眼を満足させるのではなく、自らそれぞれ恃むところのある社会人に、ある種の精神的快感を与へ得る資格を備へてゐるのである。かういふ俳優は、誰が作るのでもなく、自然に生れるのだと云へばそれまでであるが、それには、やはり、さういふ俳優を生みだす地盤が必要であり、俳優の素質を吟味する標準がそこにおかれてゐなければならぬ。
俳優養成の国家的機関が何れの国にもあつて、そこでは、専門の技術教育を施すほかに、品位と機才に富むいはゆる「民衆の偶像」を作り出さうとしてゐるのである。
演劇政策はまた文芸政策と表裏一体の関係をもたねばならぬ。なぜなら、上演脚本の生産は劇場に於てと同様、文学者の書斎に於ても亦なされるからである。
近代国家が文芸政策の中心として取り上げたのは云ふまでもなく、文芸院の設立である。文学者中、国家が認めて第一流と目する詩人、小説家、劇作家、評論家、歴史家、新聞記者等を会員に推し、(会員は新会員の選挙権をもつのが普通である)主として、自国文化の昂揚といふ点から見た文芸作品或は研
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