は公の機関としての性質を帯び、劇芸術は国民錬成の具として、教練、音楽とともに政府の手で急速に普遍化されたのである。
 ドイツばかりではなく、フランスでも、イギリスでもイタリアでも、演劇が社会教育的に利用され、例へば国立劇場へは父兄が子女の躾けのために彼等を同伴するといふやうな風は屡※[#二の字点、1−2−22]見られないことはない。第一にそこでは、国民尊崇の的である古典的劇詩人の傑作に親しみ、最も正確に且つ巧妙に話される国語の美しさを会得し、最後に、教養ある観客の十分訓練された観劇の作法を学ぶのである。
 為政者は演劇をかくの如く利用せしめなければならぬと同時に、演劇の水準をここまで高めることに不断の努力を払ふべきである。教育政策と芸術政策との不離不即の関係がここにみられる。つまり、文化政策の一元的運営といふことが、制度の上のみならず、為政者の頭脳と感覚の問題として解決されなければ、望ましい結果は得られまい。さて、ドイツ以外の国では、かくの如き意味での演劇の社会教育的価値は認めてゐるやうであるが、ドイツの如く、それに加へて、国民の集団的訓練にこれを利用することの効果に早くから着眼したと
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