ち、獄に投ぜられたものも多数ある。なかでも、武家の妻女、または召使との間に生じた事件が度々世間を騒がせ、かの七代将軍家継の時、奥女中絵の島が生島新五郎なる俳優と懇ろであつた科で、両者とも流罪に処せられ、絵の島の兄平左衛門は責任者として死罪を申渡されたことは有名な話である。
それ以後、更に、寛政年間に於ける松平定信の内閣、及び天保の水野忠邦の内閣は、演劇取締の点にかけても厳格を極めた。即ち、松平内閣は、俳優の華美贅沢を戒めると同時に、俳優の住居が名実とも「外より見通し候やう可致」と命じ、盗賊の宝蔵へ忍入る事件を取扱つた脚本を上演禁止し、俳優の給金規定を設け、劇場の事務員を制限し、旅興行を許可制とし、一方、俳優に対する興行者の義務を明かにして、虐待と搾取に対する保護を加へた。次いで、水野内閣に至つて、将軍家慶の時代に、劇場の火災防止上危険なること、及び風教上悪影響あることを理由として、まつたくこれを廃止するか、地方の一隅へ移転せしめるかしようといふ議さへあり、天保十三年七月、遂に、俳優は四季を問はず深編笠を着てでなければ外出罷りならぬといふ布令が出た。また、草双紙、錦絵類に役者の似顔絵を
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