を微塵も交へない、創造の精神にのみ負ふところの芸術自体でなければならないのである。
 モスクワ劇団の前大戦直後に於ける世界巡業が、私の知る限り如何に真のロシヤ人なるものを一般に理解せしめ、その舞台の圧倒的魅力を通じて、ロシヤ愛好者を多数生ましめたかをみるがよい。或はまた、フランス国立劇場俳優団の定期的南米巡業が、如何に南米、殊に、アルゼンチンのフランス化に貢献してゐるかをみるがよい。
 演劇を通じての対外宣伝に於て、最後に考へなければならぬのは、俳優の素質についてである。このことは、後段わが国今後の演劇政策に関するくだりに於て勢ひ触れることになると思ふが、抑も近代国家に於ける演劇のいくらかの質的改善は、俳優の教養及び品位の高まりにその原因の主なるものがあるのである。演劇はそのために多少道徳的信用をとりもどし、俳優の社会的地位が向上した。欧米に於ける一流の俳優は、他の社会の一流人士と対等の交際ができ、交際ができるばかりではない、対等の喧嘩ができるといふのが掛値のないところである。つまり堂々と誰の前でも所信を述べ、それが専門的のことであらうとなからうと、一個の近代的教養をもつた芸術家として、その言説に耳を傾けさせ、しかも、俳優らしく、その表現には常人の企て及ばない独特の魅力があり、決して好奇的な眼を満足させるのではなく、自らそれぞれ恃むところのある社会人に、ある種の精神的快感を与へ得る資格を備へてゐるのである。かういふ俳優は、誰が作るのでもなく、自然に生れるのだと云へばそれまでであるが、それには、やはり、さういふ俳優を生みだす地盤が必要であり、俳優の素質を吟味する標準がそこにおかれてゐなければならぬ。
 俳優養成の国家的機関が何れの国にもあつて、そこでは、専門の技術教育を施すほかに、品位と機才に富むいはゆる「民衆の偶像」を作り出さうとしてゐるのである。
 演劇政策はまた文芸政策と表裏一体の関係をもたねばならぬ。なぜなら、上演脚本の生産は劇場に於てと同様、文学者の書斎に於ても亦なされるからである。
 近代国家が文芸政策の中心として取り上げたのは云ふまでもなく、文芸院の設立である。文学者中、国家が認めて第一流と目する詩人、小説家、劇作家、評論家、歴史家、新聞記者等を会員に推し、(会員は新会員の選挙権をもつのが普通である)主として、自国文化の昂揚といふ点から見た文芸作品或は研
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